「出勤しているのに、なぜかパフォーマンスが上がらない」──そんな社員が、あなたの会社にもいませんか?
横浜市立大学の研究グループが2025年に発表した報告によると、メンタルヘルス不調だけで、日本の労働者のプレゼンティーイズム(出勤しているが十分に力を発揮できない状態)による生産性損失は年間7.6兆円。日本のGDPの約1.1%に相当します。
この「見えない損失」に対する打ち手として、国が推進しているのが「健康経営」。認定企業数は過去最多の26,850社を突破しました。
しかし──ここで一つ、問いかけたいことがあります。
健康経営は、「認定を取れる企業」だけのものになっていないか?
エンタメ業界には、こんな金言があります。
「すべてのジャンルはマニアが潰す」
コアなファンの声に応え続けた結果、商品が複雑化し、初心者が入れなくなり、市場が先細りする──ブシロード創業者・木谷高明氏がエンタメ業界に投げかけた警鐘です。
健康経営の世界でも、同じことが起きていないでしょうか?
フィットネス・健康分野で18年、法人向け健康経営支援で8年。年間数百社の企業と向き合ってきた立場から、この問題を正面から問いたいと思います。
まず、数字で現実を見てみましょう。
2026年3月、経済産業省は「健康経営優良法人2026」の認定結果を発表しました。大規模法人部門3,765社、中小規模法人部門23,085社、合計26,850社。過去最多の認定数です。
ここだけを見れば、健康経営は順調に普及しているように見えます。しかし、裏側のデータを見ると、まったく違う景色が広がっています。
大同生命が2024年9月に実施した中小企業経営者向けサーベイによれば、健康経営の「意味や内容を知っている」と答えた経営者はわずか38%。しかも前年から「知らない」と回答した割合が7ポイント増加しています。認知度は伸びるどころか、頭打ちになっているのです。
日本の中小企業数は約358万社。認定企業26,850社は、そのわずか0.7%に過ぎません。残りの99.3%──約355万社が、認定の「外側」にいます。
この数字は何を意味するのか。認定企業数が増えている一方で、「参加する企業」と「参加しない企業」の間の溝は、年々深くなっているということです。
私たちウェルネスドアには、年間440件以上の企業からの相談が届きます。その多くは「何から始めればいいかわからない」という声です。
認定を取りたいのではなく、「従業員の健康をなんとかしたい」。その切実な想いが、認定制度の複雑さの前で立ち止まっている──そんな光景を、私は8年間ずっと見てきました。
なぜ、制度の「外側」にいる企業が減らないのか。その一因は、認定制度そのものの高度化にあります。
健康経営優良法人の認定基準は、制度開始以来、ほぼ毎年改定されてきました。その変遷を見てみましょう。
さらに、経済産業省は2026年度から以下のような新たな方向性を打ち出しています。
| 変更・追加項目 | 内容 |
|---|---|
| PHRデータ活用 | 従業員の個人健康データ(PHR)の分析・活用が評価項目に追加 |
| プレコンセプションケア | 将来の妊娠・出産を含むライフデザイン支援の取り組みを評価 |
| 経営層の関与深化 | 「取締役会で何を議論・決定したか」の具体的な記述が必須に |
| グループガバナンス | 国内外グループ会社への健康経営の展開が評価対象 |
| アウトカム重視 | 「何をやったか」ではなく「どんな成果が出たか」を問う方向へ |
誤解しないでいただきたいのですが、これらの変更そのものは「正しい進化」です。すでに取り組んでいる企業の質を高め、形骸化を防ぐための措置として、意義のあるアップデートと言えるでしょう。
しかし、同時にこうも言えます。
制度を高度化するほど、「まだ始めていない企業」にとっての入口のハードルはさらに上がる。トップランナーを選別する仕組みが洗練されればされるほど、これから走り始めようとする企業は参加しにくくなる。
これは、冒頭で紹介した木谷高明氏の言葉──「すべてのジャンルはマニアが潰す」の構造そのものではないでしょうか。
制度の高度化は、いわば「検定試験の難易度が毎年上がる」ようなものです。すでに合格している人はさらに上を目指せますが、「そもそも受験するかどうか迷っている人」にとっては、ますます敷居が高くなる。
現場で見ていると、認定基準の改定ニュースが出るたびに「やっぱり今年もうちには無理だ」と諦める企業担当者が少なくありません。
制度の高度化が現場にどのような影響を与えているか。一つの象徴的なエピソードをご紹介します。
ある保険代理店(従業員数十名規模)は、3年連続で健康経営優良法人に認定されていました。しかし4年目、認定を得ることができませんでした。
理由は、「喫煙本数を減らす」という目標設定が、制度が求める「健康効果のエビデンスに基づいた目標」の基準を満たさなかったから。同社の担当者はこう振り返っています。
「始めた当初は割と申請も難しくない印象でしたが、年々申請企業が増えていくのと同時に求められるレベル感が上がってきているように感じます」
──株式会社保険ポイント ブログより
この声は、すでに認定を取得している企業のものです。3年間の実績がある企業でさえ「年々ハードルが上がっている」と感じている。
ならば、まだ一度も申請したことがない企業の担当者──多くの場合、経理や採用も兼任している中小企業の「一人人事」──にとって、この制度はどれほどの壁に映るでしょうか。
健康経営支援サービスを提供するmedimentの調査(2025年)によれば、すでに健康経営に取り組んでいる企業においても、「施策が浸透しない」(43.5%)が最大の課題として挙げられています。
認定を取った企業ですら定着に苦戦している──この事実は、「認定を取ればゴール」という考え方そのものに疑問を投げかけます。
8年間の支援経験で確信していることがあります。健康経営の本当の成果は、認定の有無ではなく、「従業員の行動が変わったかどうか」で測るべきだということです。
認定は取ったが従業員は何も変わっていない企業と、認定は取っていないが従業員が自発的に健康に取り組んでいる企業──どちらが「健康な会社」でしょうか。答えは明白です。
「中小企業が健康経営に取り組まないのは、経営者の意識が低いからだ」──こうした言説をよく耳にします。しかし、データが示す現実は少し違います。
中小企業が健康経営に動けない理由を、データから3つの層に整理してみましょう。
| 障壁 | 実態 | エビデンス |
|---|---|---|
| 認知の壁 | 健康経営の「意味や内容を知っている」経営者はわずか38%。しかも「知らない」と答える割合は前年から7ポイント増加している | 大同生命サーベイ 2024年9月 |
| 接続の壁 | 経営課題と健康施策が結びついていない。健康経営を実施していない企業は、施策を自社の経営課題と接続できていない | 猿渡・横山(名古屋工業大学)2025年 |
| 実行の壁 | 「適当な人材確保が困難」39.0%、「効果的な実施方法がわからない」37.3%が上位を占める | 帝国データバンク調査(2023年) |
注目すべきは、「やりたくない」が上位に来ていないことです。freeeが2024年に実施した調査でも、従業員51〜500名の企業の47.3%が「取り組みたいができていない」と回答しています。
つまり、多くの中小企業経営者は「健康経営をやりたくない」のではなく、「なぜそれが自社の人手不足・離職・生産性低下を解決するのかが見えない」のです。
冒頭で示したプレゼンティーイズムの年間損失7.6兆円。経済産業省のガイドブックによれば、プレゼンティーイズムは企業の健康関連コストの77%を占めるとされています。
日本ではプレゼンティーイズムとアブセンティーイズム(欠勤による損失)の比率が約25倍──海外の5〜10倍と比べて異常に高い値です。その背景には「休みづらい職場文化」「業務の属人化」があります。
そして、まさにこの課題を最も深刻に抱えているのが、人員に余裕のない中小企業です。
健康経営が最も必要な企業こそ、制度に参加できていない。
これが、認定企業26,850社の裏側にある構造的な問題です。
「何から始めればいいかわからない」──この声を、私は8年間で何百回と聞いてきました。彼らは怠けているのではありません。制度の言語が、経営者の日常語と噛み合っていないのです。
「プレゼンティーイズム」と言われてもピンとこない。でも「なんとなく調子が悪い社員が増えた」と言えば、すぐに顔が思い浮かぶ。この翻訳こそが、健康経営支援者の仕事だと私は考えています。
ここまで見てきた健康経営市場の構造的課題を、ビジネスの世界で知られる4つのフレームワークで整理してみます。健康経営の専門メディアではまず使われない切り口ですが、経営者や経営企画層にこそ、この視点が必要だと考えます。
「すべてのジャンルはマニアが潰す」──この言葉の本意は、コアなファンへの「しばらくは口出ししないで見守ってほしい」というお願いだった。
──木谷高明氏(PRESIDENT Online インタビューより)
健康経営においても同じ構造があります。認定制度の設計に影響を与えるのは、健康経営銘柄企業やホワイト500に選ばれた「先進企業」──つまり「マニア」です。彼らの声を反映して制度が高度化するほど、初めて参加しようとする企業は「ここまでやらないと認められないのか」と二の足を踏むのです。
経営学者クレイトン・クリステンセンが提唱した「優良企業が、現在の主要顧客の意見を熱心に聞きすぎた結果、新しい市場の変化を見落とす」──この構造は、健康経営の制度設計にもそのまま当てはまります。
制度は「すでに取り組んでいる企業」の声を聞いて進化する。しかし「まだ取り組んでいない企業」は声を上げない。結果、制度は参加者の質を高める方向にのみ進化し、非参加者との溝は年々深くなります。
「KGI/KPI設定」「戦略マップ」「プレゼンティーイズム測定」「PHRデータ活用」──これらは健康経営の先進企業にとっては当然の取り組みです。しかし「従業員50人の中小企業で、人事総務を一人で兼任している担当者」にとっては、「そこまでの機能は求めていない」のが現実です。必要なのは高度なフレームワークではなく、「まず何をすればいいか」という具体的な一歩目です。
東京海上ディーアールが2026年5月に発表した最新レポートは、米国・ドイツ・韓国・台湾など9カ国の従業員健康表彰制度を比較し、日本の健康経営優良法人認定制度との違いを分析しています。
健康経営は「KENKO KEIEI」として国際展開が進む一方、日本の制度は「健保組合との連携」「40歳未満の健診データ提供」など日本の社会保障制度に深く依存した設計であり、国際標準との乖離が指摘されています。独自の進化を遂げた結果、世界基準から取り残される──「ガラケー」と同じ構造です。
| フレーム | 健康経営での現象 | 具体例 |
|---|---|---|
|
木谷の法則 (新規排除) |
制度の複雑化で初心者が入れない | 17項目中8項目、PHR活用、プレコンセプションケアの追加 |
| イノベーションのジレンマ | 先進企業の声に最適化しすぎ | 銘柄企業53社・ホワイト500が議論を主導 |
| オーバーシューティング | 中小企業が求めていない高度な要件 | KGI/KPI設定、戦略マップ、PHRデータ活用 |
| ガラパゴス化 | 日本独自制度に閉じている | 健保組合連携前提の設計、国際標準との乖離 |
私自身、この業界で活動する者として、「自分たちはマニア化していないか」を常に自問しています。木谷氏が述べたように、「サービスを提供する側のマニア化が一番恐ろしい」──これは健康経営支援者にも当てはまる言葉です。
ウェルネスドアの無料診断ツールを個人情報不要で提供しているのも、この問題意識から来ています。「まず体験してもらう」ことを最優先にし、入口のハードルを限りなく下げる。それが、マニア化に抗う最初の一歩だと考えています。
ここまで制度の課題を指摘してきましたが、健康経営そのものの価値は揺るぎません。データがそれを証明しています。
| エビデンス | 結果 | 出典 |
|---|---|---|
| 健康経営銘柄の株価推移 | TOPIXを上回るパフォーマンス(10年間) | 経済産業省 |
| 健康経営の実施と利益率の関係 | 健康アウトカムの改善を通じて利益率を高める | 山本・福田・永田・黒田(RIETI, 2021) |
| プレゼンティーイズムの改善効果 | 健康関連コストの77%に手が届く | 経済産業省ガイドブック |
| 健康経営導入企業の離職率 | 非導入企業と比較して低い傾向 | 経済産業省ヘルスケア産業課 |
重要なのは、これらの効果は「認定を取ったから」ではなく「従業員の健康が改善したから」得られるということです。つまり、認定の有無に関係なく、健康経営の取り組みそのものに投資価値があります。
私が8年間、企業に伝え続けてきたのは、まさにこのことです。健康経営は「認定を取ること」が目的ではなく、「従業員の健康を通じた経営課題の解決」が目的です。
プレゼンティーイズムの改善だけで、企業の健康関連コストの77%に手が届く。認定の有無に関係なく、この投資は合理的です。
だからこそ、制度の複雑さを理由に立ち止まっている355万社に伝えたい。「認定を取らなくても、従業員の健康を改善することはできる」と。
ここまで制度の構造的課題を指摘し、それでも健康経営には意味があることをデータで示しました。最後に、「まだ動けていない355万社」が今日から始められる具体的なステップを提案します。
第4章で指摘した通り、健康経営が届かない最大の原因の一つは「制度の言語が、経営者の日常語と噛み合っていない」こと。まずは、専門用語を経営者に刺さる言葉に翻訳しましょう。
| ❌ 専門家の言語 | ✅ 経営者に刺さる言い換え |
|---|---|
| 健康経営優良法人認定を取得しましょう | 「採用ページに書ける実績をつくりませんか?」 |
| プレゼンティーイズム対策が必要です | 「なんとなく調子が悪い社員、放置していませんか?」 |
| KGI/KPIを設定してPDCAを回しましょう | 「健診結果、もらったまま放置していませんか?」 |
| 戦略マップを策定しましょう | 「離職が止まらない原因、健康にあるかもしれません」 |
| 健康経営度調査に回答しましょう | 「御社の健康対策、同業と比べてどうですか?(5分でわかります)」 |
認定を目指さなくても、以下の3ステップで「従業員の健康を通じた経営課題の解決」は始められます。
まず、自社の健康経営の取り組みが同業他社と比べてどの位置にあるのかを把握しましょう。ウェルネスドアの無料ベンチマーク診断なら、個人情報不要・5分で完了。業種平均・全体平均・上位群との差を数値で確認できます。
コスト:¥0(無料)|所要時間:5分
食事・運動・睡眠・メンタルヘルス──経営者が最も関心のあるテーマで、まず1回セミナーを実施してみましょう。その1回が、経営者の意識を変え、従業員の行動を変え、やがて組織の文化を変えていくきっかけになります。
コスト:¥82,500〜(45分〜)|オンライン・対面対応
1回のセミナーで手応えを感じたら、四半期ごとのテーマ変更、効果測定、健康データの可視化へと進みましょう。「単発のイベント」から「経営に組み込まれた仕組み」への転換が、本当の健康経営の始まりです。
コスト:年間パッケージでご相談|データ分析・セミナー・レポートを組み合わせ
ウェルネスドアに問い合わせてくださる企業の中には、「まずセミナーを1回やってみたい」という方が多くいます。その1回が、経営者の意識を変え、従業員の行動を変え、やがて組織の文化を変えていく。
大切なのは認定を取ることではなく、最初の一歩を踏み出すことです。
木谷高明氏が新日本プロレスを買収したとき、「すべてのジャンルはマニアが潰す」と語った本意は、コアなファンへの「しばらくは口出ししないで見守ってほしい」というお願いでした。
その後の新日本プロレスの大躍進は、皆さんがご存じの通りです。木谷氏は「マニア」を排除したのではなく、「マニアも楽しめるが、初心者も入れる」入口を再設計したのです。
健康経営の世界でも、同じことが必要ではないでしょうか。
制度を高度化することは正しい。しかし同時に、「まだ走り始めていない355万社」が最初の一歩を踏み出せる入口を、業界全体で用意する必要がある。
認定企業26,850社は、日本の全中小企業の0.7%に過ぎません。残りの99.3%にこそ、従業員の健康課題を抱えながら「何から始めればいいかわからない」と立ち止まっている企業がいます。
その企業の隣に立って、一緒に考える。
それが、ウェルネスドア合同会社が8年間やり続けてきたことであり、これからもやり続けることです。
健康経営は、「認定を取れる企業」だけのものではありません。すべての企業の、すべての従業員の健康のために。その想いを、このコラムを通じてお伝えできれば幸いです。
1. 横浜市立大学 Hara et al. (2025)「メンタルヘルス不調によるプレゼンティーイズム損失:年間7.6兆円」
2. 経済産業省「企業の『健康経営』ガイドブック」──プレゼンティーイズムが健康関連コストの77%を占める
3. 経済産業省「健康経営優良法人2026 認定結果」──大規模3,765社 + 中小23,085社 = 合計26,850社
4. 大同生命サーベイ(2024年9月)──中小企業経営者の83%が「認定取得の予定なし」、認知度38%
5. freee調査(2024年)──従業員51〜500名の企業の47.3%が「取り組みたいができていない」
6. 帝国データバンク(2023年)──健康経営に取り組まない理由:「適当な人材確保が困難」39.0%、「効果的な実施方法がわからない」37.3%
7. 猿渡・横山(名古屋工業大学, 2025年)「中小企業の健康経営の浸透策の検討」──経営課題と健康施策の断絶を実証
8. 森永雄太(上智大学, 2024年)「健康経営は浸透したか」日本労働研究雑誌 2024年1月号
9. 山本・福田・永田・黒田(RIETI, 2021年)──健康経営の実施は健康アウトカムの改善を通じて利益率を高める
10. Johnson & Johnson──健康経営への投資1ドルに対して3ドルのリターン
11. WHO──メンタルヘルスへの投資1ドルに対して4ドルのリターン
12. 東京海上ディーアール(2026年5月)──9カ国の従業員健康表彰制度比較レポート
13. mediment調査(2025年)──健康経営に取り組んでいる企業の最大課題「施策が浸透しない」43.5%
14. 木谷高明氏「すべてのジャンルはマニアが潰す」──PRESIDENT Online インタビュー
15. 中小企業庁──日本の中小企業数 約358万社(全企業の99.7%)
本コラムは、公開時点の情報に基づいて作成しています。制度の変更や新たなデータの公表により、内容が更新される場合があります。
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