COLUMN SERIES
転ばない職場のつくり方
厚労省データと現場実践でひもとく、企業の転倒予防 ── 狩野 学
Vol.04 転倒1件で47日の休業 ── 経営者が知るべき経済損失の実態
2026.05.29 | 読了目安:約9分 | 著者:狩野 学(ウェルネスドア合同会社 代表)

転倒は「痛い」で終わる問題ではありません。

1件の転倒が企業に与える経済損失は、多くの経営者が想像する以上に大きい。平均休業47.5日の直接コストに加え、代替人員の確保、業務の遅延、周囲の士気低下──これらの「見えない損失」を合わせると、1件あたり数百万円規模に達することもあります。Vol.04では、転倒の経済損失を具体的に算出し、予防投資の合理性を数字で証明します。

1件あたり推定総損失
100〜300
万円
直接+間接損失合計
間接損失の倍率
3〜5
直接損失に対して
ハインリッヒの法則
年間 転倒による国全体の損失
数千億
円規模
36,378件 × 推定総損失

1. 転倒1件の「見える損失」と「見えない損失」

転倒災害の損失は「氷山」に例えられます。水面上に見える直接損失は全体のごく一部であり、水面下には遥かに大きな間接損失が隠れています。

安全衛生の分野では、この見えない損失は直接損失の3〜5倍に達するとされています。つまり、直接損失が50万円であれば、総損失は200〜300万円に及ぶ計算です。

💰 見える損失(直接損失)
・ 医療費(治療・通院・リハビリ)
・ 労災保険の給付金
・ 休業補償
・ 被災者への見舞金
・ 設備・物品の破損修理費
🔻 見えない損失(間接損失)
・ 代替要員の確保・教育コスト
・ 業務遅延・納期への影響
・ 管理者の事故対応工数
・ 周囲の従業員の士気・不安
・ 労災報告書・監督署対応の工数
・ 企業イメージ・採用への影響
・ 労災保険料率の上昇(メリット制)

2. 経済損失シミュレーション ── 1件あたりの衝撃

年収500万円の従業員が転倒で47.5日間休業した場合の損失を試算します。

COST SIMULATION ── 年収500万円・休業47.5日の場合
① 休業中の人件費(給与+社会保険料) 約 95万円
年収500万円 ÷ 365日 × 47.5日 × 社保込み係数1.15 = 約75万円+休業補償差額約20万円
② 代替要員の確保・教育コスト 約 40万円
派遣社員の時給 × 稼働時間+引き継ぎ・OJTにかかる既存社員の工数
③ 管理者・同僚の事故対応工数 約 30万円
事故当日の緊急対応+労災報告書作成+監督署対応+再発防止策の策定・周知
④ 業務遅延・機会損失 約 50万円
担当業務の停滞、納期への影響、顧客対応の遅れ(業種・職種により大幅に変動)
⑤ その他(保険料上昇・士気低下等) 約 15万円
メリット制による労災保険料率の上昇分(翌年度以降に影響)、周囲の従業員の不安・モチベーション低下
推定総損失 約 230万円

骨折を伴う重傷事例では、休業が3か月以上に及ぶケースもあり、損失額はさらに膨らみます。大腿骨頸部骨折の場合、復職まで半年以上かかることも珍しくありません。

仮に年間3件の転倒災害が発生すれば、年間700万円以上の損失となります。従業員300人規模の企業であれば、転倒だけで年間売上の数%を失っている計算です。

KEY INSIGHT

転倒の経済損失を経営者に伝えるとき、最も効果的なのは「予防コストとの比較」です。転倒予防研修を年1回実施するコストは、転倒1件の総損失の10分の1以下。1件でも防げれば、投資は即座に回収できます。

3. 転倒対策のROI ── 予防投資は何倍で返ってくるか

経営者が最も関心を持つのは「投資対効果」です。転倒予防の投資は、他の安全衛生投資と比較しても高いROIが期待できます。

転倒予防研修(年1回・全社員対象)のコストを仮に30〜50万円とした場合、転倒災害を年間1件防ぐだけで、ROIは4〜8倍に達します。

ROI COMPARISON
🟥 転倒1件の総損失(年間)
約230万円(47.5日休業の場合)
🟦 転倒予防研修の年間コスト
約30〜50万円
🟩 1件防止した場合の純利益
約180〜200万円 ── ROI 4〜8倍
※ 研修費用・損失額は企業規模・業種により変動します

さらに、転倒予防の効果は経済損失の回避だけにとどまりません。従業員の健康意識の向上、安全文化の醸成、健康経営度調査での加点──これらの「見えないリターン」も含めると、投資価値はさらに高まります。

4. 経営者・管理職が押さえるべき3つの数字

転倒対策を経営層に提案する際、以下の3つの数字を伝えるだけで、意思決定は格段に速くなります。私がこれまで企業に転倒予防研修を提案してきた経験でも、この3つの数字を示した瞬間に「やりましょう」と言っていただけることが増えました。

47.5日
1件あたりの平均休業日数
「約1.5か月、戦力が抜ける」というインパクトは、現場管理者に最も響く数字です。人員に余裕のない中小企業では、1人の離脱が業務全体に波及します。
3〜5倍
間接損失の倍率
「医療費だけではない」ことを示す数字。代替人員・業務遅延・保険料上昇・士気低下の総額は、見える損失の何倍にもなります。
4〜8倍
予防投資のROI
年1回の研修で1件防ぐだけで回収可能。「転倒対策はコストではなく投資」と伝えるための根拠です。

5. 数字に表れない「もう一つのリターン」

転倒予防の投資対効果は、損失回避だけで語るべきではありません。研修を実施した企業の担当者から、繰り返し聞く声があります。

「転倒予防をきっかけに、社員が自分の健康について初めて真剣に考えるようになった」

転倒予防研修は、参加者が自分の身体の「現在地」を知るきっかけになります。体力テストの結果に驚いた参加者が、翌日から階段を使い始める。休憩時間にストレッチをする同僚が増える。こうした小さな行動変容の積み重ねは、企業全体の健康文化を変えていきます。

また、健康経営度調査では「従業員の安全衛生に関する取り組み」「体力測定の実施」「独自の健康指標の設定」が評価項目に含まれています。転倒予防研修を定期的に実施し、体力テストのデータを蓄積することは、健康経営優良法人の認定取得にも直結します。

SUMMARY
この記事のポイント
✔ 転倒1件の推定総損失は100〜300万円(直接損失+間接損失)
✔ 間接損失は直接損失の3〜5倍 ── 代替人員・業務遅延・保険料上昇が隠れている
✔ 年収500万円・休業47.5日のシミュレーションで約230万円の損失
✔ 年間3件の転倒で700万円以上の損失、重傷事例ではさらに膨大
✔ 転倒予防研修のROIは4〜8倍 ── 1件防ぐだけで投資回収
✔ 経営層への提案には「47.5日」「3〜5倍」「4〜8倍」の3数字が効果的
✔ 損失回避だけでなく、健康文化の醸成・健康経営度調査の加点も見えないリターン
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次回 Vol.05 では、「転倒の3大パターン ── つまずき・滑り・踏み外しの発生メカニズム」を解説します。転倒を「なんとなく転んだ」ではなく、発生メカニズム別に分解することで、的確な対策が見えてきます。

AUTHOR
狩野学 プロフィール写真
狩野 学Manabu Karino
ウェルネスドア合同会社 代表 / NASM認定トレーナー

フィットネス・健康分野で約18年の経験を持ち、2018年より法人向け健康経営支援を開始。転倒予防セミナーの企画・登壇を多数の企業・健保組合で担当。厚生労働省の転倒等リスク評価セルフチェック票を活用した体力測定型プログラムや、正常性バイアスの解除をテーマにした科学的アプローチを得意とする。情報誌『エルダー』(独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構、2024年1月号)にて健康経営に関するインタビュー掲載。

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