「見えないコスト」は年間7.6兆円
── 最新研究が突きつける、健康経営の"数字の真実"

この記事のポイント

  • 日本全体で年間約7.6兆円の生産性損失(横浜市立大学 2025年発表)
  • 1人あたり年間約60〜70万円の損失が発生している可能性
  • 日本のプレゼンティーイズム比率は海外の約25倍
  • 健康施策は「コスト」ではなく、ROI 1:3〜5の投資

「健康経営は重要だ」──その一言で、施策の予算は獲得できるでしょうか?
多くの担当者が直面する壁は、「数字がない」こと。
この記事では、2025年に発表された最新の全国規模研究データを中心に、従業員の不調がもたらす経済的損失を具体的な金額で可視化し、経営層を動かすための武器を提供します。

第1章:「見えないコスト」の正体 ── 最新研究が示す衝撃の数字

従業員の健康問題が企業に与える経済的損失は、大きく2つに分類されます。

アブセンティーイズム

病気で欠勤・休職する損失。勤怠記録に表れるため把握しやすい「見える」コスト。

プレゼンティーイズム

出勤しているが不調でパフォーマンスが低下している状態。勤怠上は問題なく見えるため、最も見えにくい「最大のコスト」。

2025年、横浜市立大学と産業医科大学の共同研究チーム(Hara et al.)が、全国の労働者27,507人を対象とした大規模調査の結果を発表しました。

項目 損失額
プレゼンティーイズム損失 約7.3兆円
アブセンティーイズム損失 約0.3兆円
合計 約7.6兆円(GDP 1.1%相当)

出典:Hara K, Nagata T, et al. Journal of Occupational and Environmental Medicine, 2025年5月. 横浜市立大学プレスリリース(2025年6月13日)

この損失額は、精神疾患の医療費(約1.1兆円)の7倍以上

つまり、「治療にかかるお金」よりも「不調のまま出勤して失われる生産性」の方が、桁違いに大きいのです。さらに、これはメンタル不調だけの数字であり、腰痛・肩こり・生活習慣病等の身体的不調を含めれば、実際の損失額はさらに膨らみます。

第2章:なぜ日本は"異次元"なのか

プレゼンティーイズムは世界共通の課題ですが、日本における深刻度は突出しています。

指標 海外 日本
プレゼンティーイズム:アブセンティーイズム比 5〜10倍 約25倍
1人あたり年間損失額(平均) 約60〜70万円
健康リスク高群の1人あたり年間損失 約159〜172万円

※1人あたり損失額:東大一項目版(SPQ)平均損失割合15.1%×令和5年平均年収460万円=約69.5万円(パーソル総合研究所試算参考)。健康リスク高群:東京大学データヘルス研究ユニット(古井ほか 2018)、産業医科大学 永田准教授ら研究。

なぜ日本はここまで突出するのか? 背景には、構造的な要因があります。

  • 休みづらい職場文化:会社員の67%、管理職の78%が「多少の体調不良なら出社すべき」と回答
  • 他者への迷惑を避ける気遣い:欠勤より「無理な出勤」を選ぶ構造的圧力
  • 業務の属人化・代替要員の不足
  • 20代女性のメンタル不調率は男性の1.7倍(Hara et al., 2025)
  • プレゼンティーイズム日数は40代男性(年間145日)、30代女性(132日)が最多

100人規模の企業であれば、プレゼンティーイズムだけで年間5,000〜7,000万円の「見えない損失」が発生している計算です。これは、新規採用2〜3人分の年収に匹敵する金額です。

💡 専門家の視点:問いを変える

「不調者が多いか少ないか」で議論するのは、もうやめましょう。
問いを変えるべきです。「今この瞬間、いくらの機会損失が発生しているか」
この視点に立った瞬間、健康施策は福利厚生から経営テーマに変わります。

8年間、法人の健康経営支援に携わってきた実感として、
経営層が動くのは「健康が大事」という言葉ではなく、「損失額」という数字です。

第3章:健康投資のROI ──「コスト」から「投資」への転換

健康施策は「費用」ではなく「投資」です。国内外の最新エビデンスが、その根拠を示しています。

エビデンス 内容
J&J(250社・11.4万人) 投資1ドル → 3ドルのリターン(ROI 300%)
WHO(Chisholm et al.) うつ・不安障害への適切な投資で 1:4のリターン
米CDC 健康経営投資 1ドル → 3ドル以上のリターン
日本国内(コラボヘルスGL) 健康関連総コスト内訳:プレゼンティーイズム 77.9% / 医療費 15.7% / アブセンティーイズム 4.4%

出典:J&J研究, WHO The Lancet Psychiatry 2016, CDC, 厚生労働省コラボヘルスガイドライン, 経済産業省「企業の健康経営ガイドブック」

【ROI計算の考え方】

たとえば、年間300万円の施策投資で──
① プレゼンティーイズム改善:3,000万円の損失の10%(300万円)を改善 → 投資回収完了
② 離職率低下:中途採用1人あたり100〜300万円のコスト × 何件か → 数百万円の効果
③ 採用力強化:健康経営優良法人認定による応募数・質の向上

これらを合計すると、ROIは数倍に拡張します。
重要なのは、最大コスト要因であるプレゼンティーイズム(77.9%)にフォーカスすることです。

💡 専門家の視点:本当のリターンはどこにあるか

健康施策のROIを語るとき、多くの企業は「医療費削減」だけを見ています。
しかし、本当のリターンは「プレゼンティーイズムの改善」にあります。

私たちの支援先では、年間300万円の施策投資で、
プレゼンティーイズム損失の5〜10%改善を実現したケースがあります。
損失総額が3,000万円なら、150〜300万円の回収。
ここに離職率低下・採用力強化が加われば、ROIは数倍に拡張します。

第4章:2025〜2026年、健康経営制度はこう変わる

制度は加速度的に進化しています。2025年3月のガイドブック改訂と2026年度の認定制度変更により、企業に求められるレベルは大きく引き上げられています。

  • 健康経営ガイドブック 2025年3月改訂:戦略マップ・KPI設計・情報開示の体系が大幅刷新
  • 認定要件の引き上げ:大規模法人 17項目中14項目 / 中小規模法人 17項目中8項目が必須に
  • 性差・年齢に配慮した職場づくりが評価項目に追加(女性の健康課題・高年齢従業員対策)
  • プレゼンティーイズム測定の重要度UP:測定方法・改善計画の開示が評価に直結
  • ストレスチェック制度の拡大:50人未満の事業場にも義務化の方向で改正法案閣議決定
  • PHR(パーソナルヘルスレコード)データ活用の評価項目追加
  • 40歳未満の健診データ提供が大規模法人で必須要件に
  • メンタルヘルス → 「心の健康保持・増進に関する取り組み」に名称変更

出典:経済産業省 健康経営推進検討会資料(2025年)、健康経営ガイドブック2025年3月版、MS&ADインターリスク総研レポート(2025年9月)

制度の進化は、裏を返せば「先行者優位が拡大する」ということ。
今のうちに数字を把握し、施策の基盤を整えておくことが、将来の認定取得と企業価値向上に直結します。

まとめ:「見えないコスト」の可視化が、すべての起点になる

健康経営を"掛け声"で終わらせないために必要なのは、具体的な数字です。

✅ STEP 1 自社の「見えないコスト」を数字で把握する
✅ STEP 2 その数字を、経営層が理解できる「投資リターン」のストーリーに変換する
✅ STEP 3 損失額の大きいプレゼンティーイズム(77.9%)にフォーカスした施策から始める
✅ STEP 4 PDCAを回し、効果を定量的に検証する

まず、「今いくら損しているか」を知ること。
それが、健康経営をデータに基づいた経営戦略へと転換させるための、最も確実な第一歩です。

まずは、自社の「見えないコスト」を把握しませんか?

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執筆・監修

狩野 学(かりの まなぶ)

ウェルネスドア合同会社 代表。約18年間、フィットネス・健康領域で現場支援に携わった後、2018年より法人向け健康経営支援を本格展開。健康経営コンサルティング、健康セミナー、動画・eラーニング、OEM・協業支援を通じて、企業・団体の健康課題を"実装可能な施策"へ翻訳する支援を行っている。

【参考文献・出典】

  • Hara K, Nagata T, et al. "The Impact of Productivity Loss From Presenteeism and Absenteeism on Mental Health in Japan." Journal of Occupational and Environmental Medicine, 2025.
  • 横浜市立大学 プレスリリース「メンタル不調の影響、年間7.6兆円の生産性損失に」(2025年6月13日)
  • Yoshimoto T, et al. "Presenteeism Caused by Health Conditions and Its Economic Impacts Among Japanese Workers in the Post-COVID-19 Era." JOEM, 2025.
  • 東京大学未来ビジョン研究センター データヘルス研究ユニット「労働生産性の損失とその影響要因に関する研究」
  • 厚生労働省「データヘルス・健康経営を推進するためのコラボヘルスガイドライン」
  • 経済産業省「健康経営ガイドブック」2025年3月改訂版
  • 経済産業省 健康経営推進検討会 資料(2025年)
  • WHO "Investing in treatment for depression and anxiety leads to fourfold return." Chisholm et al., The Lancet Psychiatry, 2016.
  • MS&ADインターリスク総研「健康経営優良法人2026~認定制度の変更点と今後の方向性~」(2025年9月)