COLUMN SERIES
転ばない職場のつくり方
厚労省データと現場実践でひもとく、企業の転倒予防 ── 狩野 学
Vol.14 転倒予防研修の導入ステップ ── 現場責任者がまずやるべき3つのこと
2026.06.01 | 読了目安:約12分 | 著者:狩野 学(ウェルネスドア合同会社 代表)

Vol.13では、2026年4月施行の改正労安法により転倒防止対策が事業者の努力義務になったことを学びました。では、「法改正への対応」を具体的にどう進めればいいのか?── 現場責任者が最初にぶつかるのがこの壁です。

答えはシンプルです。「測る → 見える化する → 動かす」の3ステップを、まず1回やってみること。Vol.14では、本連載で蓄積してきた知識を90分の研修プログラムとして統合し、安全衛生委員会への提案から実施・効果測定までの実務フローを解説します。

転倒予防対策の取組率
約20%
8割の企業が未着手
厚労省 エイジフレンドリー実態調査
研修後の行動変容率
78%
体力測定型研修の参加者
厚労省 転倒予防体操研究 松平ら 2019
政府目標の達成期限
2027
取組率50%以上を目指す
第14次労働災害防止計画

1. なぜ「研修」が必要なのか ── 知識だけでは行動は変わらない

Vol.02で解説した正常性バイアスを思い出してください。約70%の人が自分の身体機能を「平均以上」と過信しています。この心理的壁は、メールや掲示板で「転倒に注意しましょう」と呼びかけるだけでは決して崩れません。

❌ 効果が薄いアプローチ
「転倒に注意しましょう」のポスター掲示、朝礼での一言注意、メールでの安全通達、座学のみの講習 ── いずれも「知識の伝達」にとどまり、正常性バイアスを突破できない。聞いた瞬間は「気をつけよう」と思っても、1時間後には忘れている。
✅ 行動が変わるアプローチ
「あなたの片足立ちは8秒です。同年代の平均は22秒です」── この数値のギャップを目の前で突きつけられる体験が、正常性バイアスを解除する。体力測定型の研修では、約78%の参加者が「継続してエクササイズを行いたい」と回答している。

つまり転倒予防研修の核心は、「教える」のではなく「体験させる」こと。知識のインプットではなく、身体機能の数値化による「気づき」の創出です。Vol.10の体力チェックとVol.11のエクササイズを組み合わせることで、この「気づき→行動変容」の流れを90分で実現できます。

2. 導入3ステップの全体像 ── 測る → 見える化する → 動かす

転倒予防研修の導入は、以下の3ステップで進めます。この順序が重要で、「いきなり運動プログラムから始める」のは最も効果が薄いアプローチです。なぜなら、「なぜ自分がこの運動をしなければならないのか」が腹落ちしていないからです。

STEP 1
測る ── 体力チェック
Vol.10の厚労省推奨5項目(2ステップテスト、座位ステッピング、ファンクショナルリーチ、閉眼片足立ち、開眼片足立ち)を実施。自己評価と実測のギャップを可視化し、正常性バイアスを解除する。所要:約30分
STEP 2
見える化 ── リスクマップ
Vol.08の転倒リスクマップを参加者全員で作成。自分たちの職場の「どこで」「なぜ」転倒が起きるかを写真+図面で共有。環境側のリスクを「自分の目」で発見する体験。所要:約20分
STEP 3
動かす ── 運動プログラム
Vol.11の5種目(椅子スクワット、かかと上げ、片足立ち、足首回し+足趾グーパー、もも上げ)を全員で実践。「これなら毎日できる」という実感を持たせる。翌日からの30分ブレイクに組み込む方法も伝達。所要:約20分
KEY INSIGHT

この3ステップは、Vol.13で解説した新指針の5つの措置のうち、措置3(体力把握)+措置2(環境改善)+措置5(安全衛生教育)を1回の研修で同時に実施できる設計です。「法改正対応のために何から始めればいいかわからない」という企業にとって、最も効率的な第一歩となります。さらに、エイジフレンドリー補助金(最大100万円)の対象経費にもなり得ます。

3. STEP 1 詳細 ── 体力チェックで「自分ごと化」する

研修の成否を決めるのは、最初の30分です。ここで参加者の「自分は大丈夫」を「自分も危ないかもしれない」に変えられるかどうかが、その後の行動変容を左右します。

体力チェック 実施の流れ(30分)
0〜5分 自己評価シートの記入
「自分の体力は同年代と比べてどうか?」を5段階で自己評価。Vol.10のセルフチェック票の「質問票」部分に該当。この時点では全員「3(普通)」以上に丸をつける。
5〜25分 5項目の実測(2人1組)
2ステップテスト→座位ステッピング→ファンクショナルリーチ→閉眼片足立ち→開眼片足立ち。2人1組で交互に計測・記録。計測者がタイマーを持ち、被験者は全力で取り組む。
25〜30分 ギャップの可視化 ── ここが研修のクライマックス
自己評価と実測値をレーダーチャートに記入。「自分が思っている自分」と「実際の自分」のギャップが目の前に現れる。約40%の参加者で「自己評価>実測値」のパターンが出現し、正常性バイアスが可視化される瞬間。

4. 90分で完結する転倒予防研修モデル

3ステップを1回の研修に統合した90分完結モデルを紹介します。この構成は、私が実際に企業・健保組合で実施している研修プログラムをベースにしています。

転倒予防研修 90分プログラム
0〜10分 導入講義:転倒災害の現状と法改正
Vol.01(年間36,378件・休業47.5日)とVol.13(改正安衛法・努力義務化)のエッセンスを10分で伝達。「なぜ今、転倒予防なのか」を数字で理解させる。
10〜40分 STEP 1:体力チェック5項目 ★ 核心パート
自己評価→実測→ギャップ可視化。この30分が参加者の意識を変える最重要パート。講師は各種目の「何を測っているか」をVol.10の知識で解説しながら進行。
40〜60分 STEP 2:転倒リスクマップ作成
Vol.08の手法で、事前に撮影した職場写真を使い、グループでリスクポイントを書き出す。「身体の問題」と「環境の問題」の両方を認識するフェーズ。
60〜80分 STEP 3:転倒予防エクササイズ実践
Vol.11の5種目を全員で実施。「椅子があればできる」「靴を履いたままできる」ことを体感させる。30分ブレイクへの組み込み方法も具体的に指導。
80〜90分 まとめ:3ヶ月後の再測定予告
Vol.12の5m歩行テストを追加測定項目として紹介。「3ヶ月後に同じ5項目+歩行速度を再測定する」と予告することで、継続のモチベーションを担保。Before/Afterデータの蓄積が健康経営度調査への報告材料にもなることを伝達。

5. 安全衛生委員会への提案 ── 3つの説得ポイント

現場責任者が転倒予防研修を導入するには、安全衛生委員会(または経営層)の承認が必要です。以下の3つのポイントで提案すると、「やるべき理由」と「やれる根拠」の両方を示すことができます。

📜 法的根拠
「2026年4月の改正安衛法で、転倒防止対策が事業者の努力義務になりました。対応しない場合、労災発生時に安全配慮義務違反を問われるリスクがあります」── Vol.13の内容をそのまま引用。
💰 経済合理性
「転倒1件の損失は推定100〜300万円。研修1回の費用は10〜15万円程度。1件防ぐだけでROI 4〜8倍です。さらにエイジフレンドリー補助金で費用の1/2が戻る可能性があります」── Vol.04の数値を活用。
📊 実現可能性
「90分で完結します。特別な機器は不要。廊下5mとストップウォッチがあれば実施可能。3ヶ月後に再測定してBefore/Afterデータを報告します」── Vol.10〜12の知識で具体性を担保。
SUMMARY
この記事のポイント
✔ 転倒予防は「教える」のではなく「体験させる」── 体力測定型研修で行動変容率78%
✔ 導入3ステップ:測る(体力チェック)→ 見える化する(リスクマップ)→ 動かす(エクササイズ)
✔ 90分で完結する研修モデル:導入講義10分+体力チェック30分+リスクマップ20分+エクササイズ20分+まとめ10分
✔ 研修の核心は「自己評価と実測のギャップ可視化」── 正常性バイアスの解除
✔ 新指針の措置3(体力把握)+措置2(環境改善)+措置5(安全教育)を1回で同時実施
✔ 安全衛生委員会への提案は「法的根拠+経済合理性+実現可能性」の3点セット
✔ 3ヶ月後の再測定予告で継続モチベーションを担保 → Before/Afterデータを蓄積
✔ エイジフレンドリー補助金(最大100万円・補助率1/2)で費用負担を軽減
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次回 Vol.15 では、「転倒予防を健康経営度調査に活かす ── 独自指標としての報告方法」を解説します。体力チェックのBefore/Afterデータを健康経営度調査にどう報告するか、定点観測ツールとの連携方法、そして「転倒予防に取り組む企業」としてのブランディング戦略をお伝えします。

AUTHOR
狩野学 プロフィール写真
狩野 学Manabu Karino
ウェルネスドア合同会社 代表 / NASM認定トレーナー

フィットネス・健康分野で約18年の経験を持ち、2018年より法人向け健康経営支援を開始。転倒予防セミナーの企画・登壇を多数の企業・健保組合で担当。厚生労働省の転倒等リスク評価セルフチェック票を活用した体力測定型プログラムや、正常性バイアスの解除をテーマにした科学的アプローチを得意とする。情報誌『エルダー』(独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構、2024年1月号)にて健康経営に関するインタビュー掲載。

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